インターネットにおける「不届き者への怒り」のような感情の版図がこのままのペースで広がっていけば、インターネットは開かれたひとつの場所ではなくて、閉じた空間が点在する世界へと変わっていくだろうという予感がある。というのも「いかにして怒れる人の目に留まらないか」の重要性が高まってくるからだ。
完全に開かれた社会というのは人類にはまだ早いので、半クローズドなコミュニティ毎に住み分けをするのが現実的な解決策ではあると思う。
Twitterみたいにあらゆる思想・心情の人々が容易に殴り合えるシステムというのは、憎悪増幅機関にしかならない。
人々はそれぞれ気の合う同士とぬくぬくとじゃれ合っていればよいのだ。