いつも言ってますが、禿げて脂ぎったオッサンを「キモい」と思うこと自体が、そのオッサンを性的対象として見ている、ということなんですよ。性的対象として見るというのは、別にその人のことを好きになったりその人に興奮を覚えたりすることだけではない。所謂「生理的な嫌悪感」はその裏面なのだ。
そういう意味で、「キモい」という感情が人間のコミュニケーションにおいて非常に大きなウェイトを占めている現代日本社会は、やはり好悪両方に跨るあらゆる点において性的な関心に満ち満ちた社会なのだと言える。「キモい」とは、性的魅力の指標のうちマイナスの志向であることを忘れてはならない。
恐らく日本に限らない、現代の先進国の多くが、性的魅力ランク社会なのだ。性的魅力が人間を判定する指標として肥大化すればするほど、判定は厳しくなる一方であるため、性的な嫌悪のウェイトも大きくなる。Me too運動とは、そのような流れの中から出てきた動きであると言える。
LGBTが性的志向として性的嗜好から区別されてアイデンティティ化されている風潮もまた、性的な関心が社会を覆っていることの証左だ。性的魅力ランク社会は、同時に性的関心ランク社会でもある。性がコミュニケーションの基盤となっているのだから、関心の持ち方の方がランク化されるのも必然であろう。
「キモい」というのが、デブのキモオタとか、禿げてて脂ぎったブサメンおっさんというその人間の容姿や醸し出す雰囲気だけでなく、ロリコンとかペドフィリアとか二次元とか、そういう性的関心のあり方に向けられていること(しかも直接に政治的に糾弾されるのはこちらである)を考えなければならない。
感情が理解を拒みそうになるが、冷静に考えると確かにそういうことではあるな。