科学者が思っているほど、人々は科学的な文章を理解してくれないってのは心に留めておいた方がいいと思う。
科学者としては、言い切る形の文章は恐ろしくって書けないけど、「今のところはこの解釈だけど将来的に変わる可能性もある」みたいな文章は、一般人には読む価値のない文だと判断される。
エンジニアとして仕事をしている時も似たような状況には出くわすもので、「理論値としてはこの位の性能が出るが、これは最適な状態での話で実測値は環境によって変わる」みたいな話ではまず意思決定者は納得してくれないものである。
考えてみれば当然のことではあるが、「Aかもしれないし、Bかもしれない」というレベルの話では意思決定しようがないのである。
例えば、「この電車は定刻通りに到着するかも知れないし、何かトラブルがあれば遅延する可能性もある」というのは正確な表現ではあるが、乗客には何の価値もない話である。これでは乗客は意思決定のしようがないからである。
この場合、遅延する可能性があるなら、それはどの程度の確率で起こるのか、その際の代替手段は何があるか、までの情報が提供されるべきで、それらの情報があれば乗客はリスクやコストを踏まえて意思決定できるようになる。
つまり、人々が求めているのは正確な情報ではなく、意思決定の材料であるということである。一般の人々とて、彼らの人生経験から「完全に言い切れる事などそうありはしない」という事ぐらいは分かっていて、それでもリスクやコストを踏まえて日々の意思決定をしなくてはならないというだけのことである。
純粋な科学者同士、技術者同士の間の話なら「正確な表現」で会話してもよいのだろうが、職業人として一般の人々に情報提供する時は意思決定可能であることを意識する必要があるということであるな。