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効率化のために抽象化を推し進めるべきか否か

おっさんの価値は抱えたトラウマにしかない、らしい - note.dev1x.orgより

自分も30過ぎたおっさんだからアレだけども、仕組みを抽象化することで効率を上げるのはフルスタックフレームワークの発想だけど、それはフレームワークから一歩外れると手も足もでない人を作り出すことになりかねないからなぁ...

参考:抽象化した結果、実体を理解できる人間がいなくなった - note.dev1x.org

仕事の基礎となる知識と経験は抽象化せずに実際に体験しておいた方がよいのでは? と思う。

以前の勤め先で某大手企業から転職してきた人がいて、その人は某大手企業では実質下請け業者に対する窓口しかしておらず、実際の実務的なところはまるでダメという切ない現実を見てしまったから余計にそう思うのかもしれない。

つまり、某大手企業は実際の仕事を下請けに任せることで仕事そのものを抽象化していたと言える。結果として、そこの社員は実務としては窓口業務しか経験がないまま30代に突入することになり、その会社以外の場所では...という悲劇を産んでしまう。

とはいえ、コンピュータの発展史は抽象化の歴史であることも承知していて、抽象化を否定するつもりはないのだが...(e.g,電子回路→機械語→アセンブラ→高級言語...)。

と言うか、ここまで書いて思ったのだが、抽象化した結果、実態が分からなくなることが恐ろしいのではなく、無知のままでよしとする人間が増えることを自分は恐れているぽい。

先述の某大手企業から転職してきた彼も、自分が悪いのではなく、会社が調整してくれないのが悪いと言って辞めていってしまった(その調整はてめーの仕事だよ、というツッコミも届かなかった模様)。

そういう己の無知に無自覚な人間が嫌いで、そういう人間を増やす仕組みが嫌だという話なだけかもしれない。

追記

思った以上にグダグダな文章になってて笑ってしまった