#あなたのフェミニズムはどこから
今年の夏 #九州の男尊女卑 で被害体験をツイートしたことから。
当時自分の権利すら思い至らなかった私に、多くのフェミニストが声を掛けてくれた。
あなたは間違っていない。
あなたの怒りは正しい、と。
お決まりの
「男を見る目が無かったお前の責任」などの
クソリプ対応も買って出てくれた。女性が堂々と自己主張する姿は新鮮だった。
そうして私は日々彼女らのツイートを追うようになった。ツイッターで出会ったフェミニストに学ぶべく、彼女らが関心を示す話題に目を通し、自らもポツポツと発言した。
自分がいかに潜在化した女性差別に取り込まれて
いたか可視化されていく毎日だった。
…初めに違和感を覚えたのは、た◯潰し祭りと称されたミラーリングだったと記憶している。女性が受ける被害をくっきりと浮かび上がらせるこの手法は、ある意味とてもうまく機能していた。男女を反転させるだけで猟奇性を帯びた内容が、女性の日常であると知らせて
くれた。私もタグを付けツイートしてみた。
…が、何かしら胸にしっくり来ず直ぐに消してしまった。 私がそこで立ち止まっている間にも、キズナアイ、医大の不正、ベルク、セクサロイドと話題は目まぐるしく変遷し、スピードに追いつけなくなっていた(追いつかなければならない事は無いのですが)
少しずつ蓄積した違和感が決定的になったのは、トランス女性排除を経ての男児への加害を容認する雰囲気だった。あれに皆が賛同したわけではない。そんな声も後に聞いたが、あの当時誰が大きな声で反意を示しただろう?いや、いたのだけれど。今は閉じられたアカウントが。
彼女のアカウント閉鎖については言及できるほど詳細を把握してないないため、ここまで。
ただ、閉鎖を嗤う無神経なツイートがフェミニストにより発信された事には残念を通り越し憤りを覚えた。
その感情をつぶさに書いたツイートにはやんわりとした口封じ、批判が付いた。
私がフォローするフェミニストたちはその批判リプに多くの「いいね」を押し、私にはほぼ無反応だった。 私のアカウントの立ち位置というものもあるが、男児加害を肯定する発言、男児を脅威とする発言を擁護する姿勢は
もはや理解が及ぶべくもなく、諦めと共に私は彼女らのフォローを外した。
数日後となる昨夜、ショッキングなヘイトツイートが流れて来た。それに「いいね」をしたアカウントのスクショも貼付されて。
私がフォローをやめたばかりの人もいた。
私は彼女たちに教えてもらった「ゆるやかな連携」というワードがとても好きだ。
男児加害など先鋭化せざるを得ない心情に寄り添って、という声も聞いた。
女性には連携が必要なのだから理解してほしいとも。
目と耳を塞ぐ連携には加われない…
フェミニズムの世界でまだ一人では歩けなかった私の手を取り、歩き方を教えてくれた人々の、その手を振り払うような行為なんだろう。
でも、できない。
できないものはできない。