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生きたかったことは一度もない。(増田小説)

小さい頃から「早く死にたいなあ」と思ってきた。

具体的な自殺方法を冷静に検討する幼稚園児って結構イヤだな。今考えると。

生き辛い環境だったわけではない。とても恵まれていたが、生きていたいと思うことはなかった。

とりあえず、(幼稚園児が知る限りでの)自殺というのはすごく痛そうだということがわかった。

じゃあやめた。

死に切れないまま見つかって怒られてその後チャンスがなくなるのは嫌だし。

それでも、子どもの頃は、放っておいてもかなりの確率で自分は死ぬんだと楽観していた。

テレビのニュースを見てると、この世界は相当危険に満ちた場所みたいだったから。

ところが、偶然の危険はめったに襲って来ないし、危険に襲われても命というのはなかなか尽きない。

痛くても苦しくても悲しくても、この体は意思とは無関係のところで生き続けようとしていた。

周りの人間からも「生きていて欲しい」と強く願われた。「生きててよかった」と言われた。

泣かせたいわけじゃないんですよ。参ったなあ。

しかたないなあ。

そういうわけで、普通の生活に埋没しながら、早く寿命が来るのを願って静かに待っている。

うまく伝わらないかもしれないが、この状況はかなり楽しい。でも維持は面倒だしお金もかかる。

「猫がいるから旅行に行けない」みたいなものだ。飼い主の意思と関係なく、猫は生きなければならない。

自分の体は猫みたいに他人に預けるわけにもいかないし。

意外とこうして生き続けてる人がいるのかもしれない。誰がご同輩なのか、街を歩いていてもわからないけれど。

なんとなく昔から思ってるのは、命が尽きた後に「遺体」というものが残らず空に消え去るなら、

自殺する人間はもっと増えてるかもな、ということ。

こんな天気の良い日には時々それを思い出す。

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さて、維持のために今日もあと数時間がんばるとしますか。

生きたかったことは一度もない。