判定基準は感情であり、感情は人それぞれ違うのだから、行為によってセクハラかどうかが決まるのではなく、セクハラと感じた人がセクハラかどうかを決めるということを言っている。そして、セクハラと感じる基準はこれもまた行為の内容に決まるのではなく不快感の有無で決まるというのだ。
ところが、フェミニズムの観点では全く逆なのだ。多様性を口では言いながら、実際には自身の不快感を基準に自身に対して不快感を与えたものを断罪する権利があると主張しているのだ。
フェミニズムとは単なるエゴイズムであった。
明確に既存の法秩序に対して挑戦をしている。筆者は、我々自由と平等を愛する者にとって、フェミニズムとは敵であると再確認するに至った。フェミニズムは徹底的に叩き潰すべきだ。