二度と政治評論・時事評論やる気ないし、半休止アカウントなんでぶっちゃけちゃうと、僕のネトウヨ嫌い・左翼びいきの原因は六割が実父がむかついたから、三割が地元の連中にむかついたからで、理屈は一割未満ですね。嫌いな奴と同じこと言ってるから嫌い、嫌いな奴と反対側だから好き。そんなもんすよ
左翼と右翼というもんがあることを知ったのはハタチ過ぎてからでした。その時に「ああ、むかつくあいつらは、賢い人の言葉でいうと右翼なんやな」と知りました。で、左翼というのが右翼を叩いているらしいと知って、「むかつく奴らを叩いてるんやから左翼が正しい」と
先に感情ありきで、理屈は後からついてくるんですね。右翼を名乗る人が「むかつく大人が左翼だった」という話をするの、結構聞きます。むかつく左寄りの大人への反発から右に行くケース、多いみたいです。正しいことを言うより、「いい奴」だと思われる方が、支持を得る近道なのかもしれません
誰かを正論で論破したら、相手を嫌いな人が「よく言ってくれた!」と喜ぶかもしれません。しかし、相手を好きな人は、あなたを嫌な奴だと思います。論破はだいたい攻撃的なので、第三者もあなたを嫌な奴だと思います。「むかつくけど支持される正論」なんて幻想です。むかつかれたらそこで終わりです
自分の思想を広めたいなら、第一に嫌な奴と思われないこと、第二にいい奴と思われることが大事なのだと思います。現実でもネットでも結構いるでしょう? 理屈が通っていないのに支持される人。一旦「いい奴」だと思われたら、理屈に合わない言葉でも一理あると思ってもらえるのです
だから、僕は右寄りのアカウントが偉そうにしているのと見ると「いいぞ、もっとやれ。ヘイトを買え。支持を減らせ」と思い、左寄りのアカウントが偉そうにしているのを見ると「なんで喧嘩腰になるかな」「いっそ右に行ってほしい」と思います。偉そうにすればするほど、思想が広まらなくなりますからね
そんな自分でも「左寄りの人間ならいくらでもリアルで知ってるから」と、右寄りの人間をフォローしまくったら言動が右に寄ってしまう。冷静に考えたら擁護すべきでないものなのに、右が擁護しているのを見て、「それも道理だ」と感じてしまう。感情が根本にあるものは、感情で揺れるのですね
態度の悪さは支持を失う。これは僕自身にも言えることです。ツイッターで結構やらかしました。リアルでも大学にいた時分は、右っぽいあるいは差別的な言葉を聞くと、カチンときて「それはどういうことなん」と詰めることが再三ありました。だから、一連のツイートはその反省を踏まえた上の言葉です
ヘイトを買いまくったアカウントが言っても、説得力ないですけどね。自分が守りたいものが、自分の買ったヘイトのせいで守れなくなる。そうなると困るので、このアカウントで政治的なことは言いません
誰だって始まりはそういう素朴なものである。
今の自称リベラルおじさん達だって、若い頃に戦中・戦後世代のおじさん達への反感から反戦運動に走り、その後の世代交代に伴って要職を占めた。
自称リベラルおじさん達が主流を占めると彼れもかつての戦中・戦後おじさん達のように筋の通らない事を言い始めて、若手から反感を持たれる事になった。
それが現在のネトウヨの種である。ネトウヨは教師やマスコミへの素朴な疑問・反感から生じたことを忘れてはならない。
そして、世代交代に伴いネトウヨも社会の主流となる。それが何を意味するのかは現時点では不明であるが、全ては循環しているという事であるな。