デストピア願望というか、ぼくなりに「世界崩壊イメージには世代がある」と思ってて、戦後はやっぱり戦争とか核兵器のイメージが強くて「世界崩壊=ドカーン!キノコ雲・荒廃したビル群」なんですけど、次の世代は「世界崩壊=形だけは社会が残ってる・デストピア」だったりする。
「マッドマックス」とかは戦後~冷戦の核兵器の世界崩壊イメージで、その次の世代のサイバーパンク系とか、アニメだとエヴァンゲリオンとかあの辺になるともう殆ど「形だけは社会が残ってて徐々に静かになっていく世界崩壊」というか、流行のゾンビサバイバル系もその類に入るのではないか。
ハルマゲドンって各々の願望なので同時に世代ごとの英雄願望も入るんですよ。核兵器イメージの世界崩壊=みんな滅んでしまえ!でもその危機を乗り越える(or止めようとする)で、ディストピア系とかゾンビサバイバル系は、人が死んで社会(世界ではない)が崩壊した!=サバイバルヒ-ローしよう!だよね。
核での世界崩壊系は「1回リセット出来れば解決するのではないか」だし、エヴァンゲリオンとかあの辺は「日常を残した形でいなくなりたい」だったりするし、ゾンビサバイバルは「人はいなくなるけどインフラは回復するはず」みたいな、各々の世代毎に「都合が良いハルマゲドン」なわけ。
「ヒーロー願望」を適える為にはやっぱ既存の社会とか他人って邪魔なわけで、その舞台として1度崩壊した社会が必要ですよ、となって、その上での「ハルマゲドンのイメージは世代ごとに違うはずだよ」と言うのは、どこかで深く研究して頂きたいんだけど、これ究極にやると聖書の研究に行き着く。
「自分の周囲(世界や社会)が終わる」ではなく「自らの物語だけだけ1回リセットされる」だと異世界転生とかもそうかもね。ようするに物語を作る上では、たぶん既存の社会を描くのって難しいんですよ。なので1回排除して構築する。合理的と言えば合理的。
「誰かが世界を壊してくれないと私の物語が始まらないではないか」という様なある種の究極の他力本願みたいなものは、直に聞くと醜悪だけどエンターテイメントの世界では重宝されるし、見ていて中々楽しい。
よくある「徹底管理された社会=SFデストピア」は冷戦時代のソ連に対する恐怖みたいな、核によるハルマゲドン感の少し後のテイスト。