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白〇屋コピペの呪いと千円札三枚の救い

ところで、新卒で入った会社を退職、その後起業して大失敗というようなキャリアを持っている人間にはちょっと面白い現象が起きます。「人間が落下して来る」と僕は呼んでいるのですが、数年ほども音沙汰のなかった人たちが、「呑まないか?」と誘って来るのです。会社を不本意に退職した、有責で離婚することになった。そういう話ですね。僕は人生におけるそういった話題を放り込む箱として、人気があります。(たまにはいいことがあった時にも呼んで欲しいです)

数年疎遠だった友人と呑みに行くと、「会社辞めたんだよね」という話をされる。呑む場所も高いところではなく学生街の居酒屋なんかが選ばれます。僕は、そういう時「自分がいかに破滅したか」を喋ります。「わはは、借金だけが残ったよ」とか「失業保険を取りにハロワに行くのは面白い」なんて話をすると、なんだかほっとしたような友人の顔を見るのは実はそれほど悪くない。

でも、33歳になってこんなことを考えました。白木屋コピペの「俺」が失業して離婚して、すっかり全部かっぱがれてしまった時(人生にそういうことはそれなりに起こります)、思い出して呑みに誘うのは間違いなく「おまえ」だろうなと。そして、その時「俺」は「おまえ」の存在をとてもありがたいものと感じるだろうな、ということです。「十年前と同じ、努力もしない夢」はその時、救いに近いものとして機能するでしょう。「俺」と「おまえ」のそのささやかな酒席があれば、くしゃくしゃの千円札三枚で孤独ではない酒が呑めるんですから。

これもある種のストロングゼロ文学なのだろうか