ちなみにフェミ戦さんがフェミニストをやめた理由の一つもその人なのだ。その人はフェミニストではなかったから。でも元フェミニストだったのだ。「女性なんだから勿論フェミニズムは好き」と言っていたのだ。でもやめたんだと言っていたのだ。
昔はよくフェミ戦さん側がフェミニストの立場から「なんでフェミニズム駄目なのだ?ジェンダーフリーは大事なのだ!」とか言ってたのだ。そして毎回「結局どんなに頑張っても私達は男と女にしかなれない(変な意味ではない)」「結局は自分の性別を受け入れるしかないんだよ」と諭されていたのだ。
「トランスだって結局、男か女に変わるんだから、男女しかないでしょ?」「男と女以外を想像できる?」とかよく言ってたのだ。当時は空想的な子供であんまり説得されなかったというかされたくなかったけど、歳をとるにつれて、何もかもではないがあの人の言う通りだったなぁと思う経験が増えたのだ。
あの人はフェミ戦さんより長く生きていたから、フェミ戦さんより先に沢山のものを見て、経験して、考えていたのだ。だんだんそれが分かっていったのだ。だから右に転向したというわけではないが、影響は明らかにあると思うのだ。数年前からずっとあの人を追いかけてきた気がするのだ。もういないけど。
特に男性に生まれたらもう男性を降りる事はできないんだというのは、勿論自分一人の経験の山から痛いほど学んで受け入れた事ではあるが、当然事後的な形で「人は最後は自分の性別と向き合って受け入れるしかない。男か女として生きていくしかない」というあの人の説教を思い出さずにはいられなかった。
昔はジェンダーフリー論者だったし、男女平等どころか性別解体みたいな思想だったので、ネットで女性として振舞ったり、絶対に性別がバレないように振舞ったり、あれこれ試してたのだ。ある意味、あの人をぎゃふんと言わすためだったのだ。
でもいくら試しても結果的にはあの人の正しさが分かるだけだったのだ。結局最後は自分の持って生まれた性にぶち当たるのだ。他人の扱いもそうに決まっているし、自分だってそれは本当は常に理解していることだ。本当はそれを受け入れる方が近道だなと思ったりした。
受け入れた上で自分の性別を洗練させたり、自分の性別の権利を主張する方が真っ当なんじゃないかと。尤も弱者男性という不幸に甘えて、男性性を洗練させる努力はさっぱりやってないのだ。強くなんてなれないしなぁ。フェミ戦さんも何が正解かよく分からないのだ。ジェンダー論は人生論なのだ。