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フェミニストであることに疲れた。

いつからか、ネットでフェミニストが活動を始めた。かつての #metoo は私も革命だ! と喜んだ。発信者の属性でバッシングされたりもしたが、過去の性被害を訴える権利は誰にでもある。そのともしびが消えなければよいと思っていた。

しかしいつからか、ネットの過激なフェミニスト vs 過激なフェミニストにうんざりした方々の争いが始まっていた。「フェミニズム側だし……」と発信者の発言を見ても、正直うーんと言わざるを得ないものが目につく。

男性は全員性犯罪者だ、男を休日ゴロゴロさせるような妻は名誉男性だ、女の業績を批判する人間は全員〇んだほうがいい、などなど。いやあ、それただのミサンドリー(男性嫌悪)ですやん……。

中には過去、性犯罪の被害にあった経験を語るフェミニストもいた。そういう過去があったから、傷つくのもわかる。同じ属性の人間を恨みたくなるのもわかる。けれど、過去の傷つきは、未来の誰かを傷つける権利にはならない。当人たちはまだ傷つきから癒されていないだろうから、いま言っても焼け石に水だろう。だが彼ら・彼女らに必要なのは医療であり、フェミニストの剣ではない。

こうしてバランス感覚のある人は活動から離れていき、後に残るのはもはや引くことのできない過激派だけになっていく。

学生運動と同じであるな。