こういう仕事をしていると、遺された部屋の様子から、亡くなられた人の思いや葛藤を、望むと望まざるとにかかわらず垣間見てしまうことが少なくない。吐き出す場所もないので、ここへ書き込むことにする。
前提として、東京と周辺の夏の暑さは、もう人が住める限界を超えていると思う。とくに低収入でエアコンなしの部屋に暮らしている「弱者」たちから、実際に暑さで身体が溶けて亡くなっていくのだということを実感する。
先週入った現場は、40代男性の、いわゆる孤独死の後片付けだった。例によって冷房なしのアパートだった。防毒マスクをして臭いに覚悟をしながら入ったが、畳に残っていた体液の量はそれほどでもなかった。
ただ一瞬目を疑ったのは、床がすべて同じ、細長いビニール袋で埋め尽くされている様子だ。いくつかの袋にはフランスパンが食べかけのまま残り、カチカチになっていたり、一面黴に覆われて緑黒くなっていたりした。
男性が突っ伏して亡くなったと思われるちゃぶ台には、チラシの裏を埋め尽くすようにして、鉛筆でたくさんの殴り書きがしてあった。書いてあるのは全て「バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット バゲット」という単語だった。壁にも同じような紙が貼ってあり、そのうちの一つには、大きく黒のマジックで「バケット」と書かれてあり、×印で消してあった。
ゴミと遺品を分別する作業を続けているうちに、死に至る直前までのストーリーが、点と点がつながるようにして見えてしまうことがある。
床に散らばっていた紙を分別しているうちに、どうやらこの男性は、紹介予定派遣で食品問屋の正社員になるのを断られて解雇されたらしかった。
執拗に「バケット」と「バゲット」の区別に故人がこだわっていたところを見ると、この一件が解雇になんらかの関係があったのかもしれない。あるいは、フランスパンの正しい名称すら知らない人間は雇えないなどと、ハラスメントを受けて会社にいられなくなったのかもしれない。
「バケット」と「バゲット」を間違えたくらいで人が死に至ることがあるのだろうか。
一瞬訝しく思ったが、自分を含む氷河期世代の人間は、あらゆるものを剥奪され、弱者として生きることを強制されてきたのであり、周囲からどれほど些細なことと思われても、ちょっとしたきっかけで生活が崩壊してしまうほどに綱渡りの人生を歩み続けてきたのだ。言い間違いが命を奪ってしまうことも、けっしてあり得ないことではないように思うのだ。
この仕事をしていると故人の想いが自分の中に入ってこないように、心に防御壁を設けて黙々と作業をするようになるのだが、この日ばかりは、「バケット」と「バゲット」の区別に執拗にこだわりながら死んでいった個人に思いをはせざるを得なかった。だからこんなところで吐き出したくなってしまったのかもしれない。
「ストロングゼロを常飲する人生に転落した経緯」の続編だと思うと背筋がひんやりする