元のサイトが消失していたので、インターネット・アーカイブからサルベージ。
(以下本編)
個人的にアレだなぁ、と思っていたので、消しておりましたが、はてブで話題のようなので復活します。
「女性」と括るのは気に入らないので、男女問わず「キチガイ」と書きます。別に「メンヘラ」でも DQN でもいいけどね。
キチガイに勝つ為の戦略は単純で、相手以上のキチガイになればいい。つまり、暴力でも暴言でもなんでもいいけれど、徹底的にやってやったらいいんだ。キチガイのやり口というのは第一時大戦みたいなもんで、騎士道もクソもないやったもん勝ちの消耗戦であり、毒ガスを使おうがマシンガンを使おうが勝てば官軍なんだ。伝統的な夫婦関係においてはどうせ男の方がカードが多いんだし、チキンレースに持ち込めば勝てる。カードがほとんどないならば、それは失うものがないという意味であり、それはそれで強い。例えば、深夜に口論しながらアルコールでもあおって、奇声をあげながら灯油を撒いて包丁持って暴れてみればいい*1。多分あなたは逮捕されるだろうけど、相手は二度と喧嘩を売ってこないだろうよ!
ええと、無闇にアツくなってしまいましたが、キチガイを演じきる自信がないのなら、キチガイと喧嘩するのはやめた方がいいですよ。キチガイの相手は何度も経験しているし、私自身が数年前までキチガイだったから自信を持って言えるのですが、消耗戦に突入するぐらいなら手を切るべきです。仕事・信頼・社会的地位・家庭・人格・財産・精神の均衡を失うぐらいなら、家庭だけ失った方がいいでしょう? で、この文章では「キチガイ」と書きましたが、あなたの恋人や配偶者が如何に優れた人格者であっても、人間である限りはキチガイになる余地はあるものなのです。あなたにどれほどの愛情があるのか私には解りませんが、全てを失う前に家庭や恋人は本当に切り捨てられないものなのか、真剣に考えるべきです。
# なんでこんな文章書いているんだろう。
夫婦喧嘩・恋人同士の喧嘩・親子喧嘩というのは実は面白い。要するに囲碁や将棋のリアル版みたいなもので、やればやるほど上達するし、憎んでいる相手を攻撃するのも面白い。いかに損害を抑えつつ、相手を消耗させるか知恵を絞り、実際に攻撃がうまくいった時は壮快そのものだ。特に「越えてはいけない一線」を平気な顔で越えると更に喧嘩がヒートアップして、泥沼化し、より面白くなる。
こういう発想は当時の私の心理状態の一面だけれど、DV(ドメスティック・バイオレンス)防止に向けた取り組みの男女不平等を読んでいると、ここで挙げられている女性たちも、そのように考えている気がしてならない。
話し合いにはルールがあるだろう。たとえば「子供の前で、相手をバカにしない。親兄弟の悪口を言わない。気にしている肉体的特徴を突かない」(中国新聞文化部編(1997))それを逸脱し、相手を傷つける、屈服させることを目的とした物言いは「話し合い」ではない、ケンカだ。ケンカに言葉の暴力と拳の暴力の区別はない。
腹が立ったら何を言ってもいいのか?
言いたい事を言うだけで、ルールを守らない。相手の言い分についての是非ではなく、単に相手の人格を傷つけるだけが目的の言葉を平気で言い、しかもケンカ後、その時の発言について責任をとらない。
そんな人間が、「口では口で返せ。口で言われて手を出したら負けだ」などというルールを持ち出したところで、説得力もなければ、そのような手前勝手な「ルール」に付き合う義理もない。
まさにそういうことです。話し合う気など微塵もないのです。
こんなことを書いていたら気持ち悪くなってきた。
夫婦喧嘩等がなぜ紛糾するかと云えば、夫婦のうちの一人は話し合いたいのに対し、もう一人は相手を徹底的に攻撃することを目的としているからではないかと思う。
このミスマッチを前向きに回避するには戦争を仕掛けようとする側が、話合いの場につくしかないのである。どうしても攻撃したいと思っている側の協力が必要である。私はかつて、ひきつった笑みを浮かべ、目は落ちくぼみ、体はひどく痩せ、ほとんど眠らず、食事も摂らず、左腕は傷だらけで、アルコールと薬物を常用し、24時間攻撃しつづけるだけの体力を持ち、「重大犯罪」を実行しようと企画していた。私はあの時代に戻りたいとは思っていない。だから、ちょっとした行き違いで私を攻撃するのはやめてほしい。応戦したくないんだ。
これまで見てきたように、夫婦ゲンカは男女双方の攻撃の応酬である。
それなのに、加害者更正プログラムでは、暴力に至る過程は一切考慮せず、いかなる状況であろうと男が暴力を振るった場合だけを問題視し、男の行動を変えさせることしかしない。
あーあ……。世の中の DV する人々がこれを知ったら多分最後までやってしまうぞ……。
フェミニストたちは「逮捕されようが死刑になろうが、もはやどうでもいい」という刑法が抑止力として機能しない心境を知らないのだろうか。普段からそう思っている人はなかなかいないだろうけれど、夫婦喧嘩という神経を徹底的に擦り減らす特殊な状況下においては、容易にそうなると思うんだけどなぁ。夫に妻を殴らせて夫婦関係を破壊するよりも、互いに非があることを認めて夫婦関係を修復する方がよいと思うのだが、彼らはそうは考えていないのだろうか。
1977年設立、ボストンの加害者更正プログラムである「エマージ」も、梶山(1999)で紹介されている部分だけ見ても、ずいぶんと女の側に傾いた、不平等なプログラムである。
まず第1段階で、「暴力とは何か」といった基本的な認識を植え付ける。ここで「言葉の暴力や経済的な制裁も虐待だ」と教える。筆者ならここで「じゃあ、妻が自分を大声で非難するのも虐待なんですね?」と確認したくなるが、そのような疑問を抱かなくてすむように、物事を肯定的にとらえる訓練もする。妻に大声で怒鳴られたときも「感情を吐き出せば、彼女も楽になるだろう」「彼女が何に腹を立てているのかを知ることも大切だ」と「前向き」に考えろとのことだ。だったら、殴られた妻も同じように前向きに考えればいいんじゃないの?と思ってしまう。
男からのあらゆる攻撃は厳禁で、女から受ける攻撃は前向きに考えろという、典型的なダブルスタンダードがまかり通っているのだ。
受講者の四分の一が「こんな所に来るぐらいなら、刑務所のほうがマシだ」とプログラムを途中でやめてしまうのも無理はない。
そうだろうねぇ……。
*1:刺したり切ったりしたらダメだよ。違う領域に突入してしまう。