/note/social

フェミニストが映画「否定と肯定」を見るべき理由とは

11月某日、以前も何度か取り上げたグラビア女優でライターの石川優実さんが、Twitter上で積極的に発信を続けるネット論客氏が企画した「白熱討論会」に登壇しました。

(中略)

どんな議論がなされるかを知りたかったため、ときどき寄稿している媒体の許可を取り取材依頼を出しました。

用意された240席はほぼ満席で、時間通りにイベントはスタート。3つのテーマに沿って、各45分にわたりそれぞれが主張し、互いの意見に反論するというものでしたが……。正直ずっと私は「もう帰りたい」と思っていました。だから編集者と話し合った末、記事掲載を見送っています(運営にも連絡済)。

ネット論客氏は「これからのフェミニズム」というテーマでのプレゼンを「フェミと戦うには」という論調で話を進めていました。ここまで来て私はようやく、「ああ、この方は話がしたいのではなく、相手を負かすための戦いをしたかったのだ」と気づきました。

そしてネット論客氏は「ヘイトスピーチだろうが他人の信仰を侮辱しようが、それは表現の自由。それは守らなければ。信仰は別の信仰を信じる人にとっての侮辱。でもそうやって相互に侮辱だと思う表現を引用援用しないと話し合うことができない。だから表現の自由が大事で、侮辱と言われたら耳を傾けるべき。侮辱を禁じろというのは革命の思想」とも言っていました。ヘイトスピーチは「侮辱」ではないし「憎悪表現」と解釈されることも多いけれど「差別煽動」であり、人間の尊厳を奪い、壊す行為です。人間としてやってはいけないことを「表現の自由」と片づけたら、まさに社会の底が抜けてしまう。 

でも彼の話を聞きたくて集まったと思しき聴衆の、いったい何人がそれをわかっているのだろう? 楽しませて、ときに笑わせてくれる話術の中で、踏みにじられている人がいることに誰が気づいているのだろう? 私以外にも「こんな場にいたくない」と思っていた人が、他にもいたと信じたいよ……。じゃないとあまりにも救いがなさすぎる。

でも事実はディベート内容の良しあしでひるがえるものでも、戦いの勝者が決めるものでもありません。だからこそ、同じテーブルにつく必要はないのです。

その結論でええんか...