フェミニストと「議論」するとき、フェミニストには絶対に譲れない前提があって、それは「こちらは被害者であり、加害者のお前は対等ではなく、こちらの話を真摯に聞き入れ謝罪し、平身低頭して許しを乞う」という道徳的優位があること。
その前提を了解せずに、社会一般の意味で議論や対話などすると、「被害者と加害者を対等に並べるのはおかしい」という認知が発火してしまう。あくまで「被害者である私たちの要求に差別者のお前が応じること」が、フェミニストのいう「議論」であり「対話」。
西村氏がフェミさんたちの「嫌悪感連帯」を広めてしまったのは、「加害者(男)が、対等に被害者(女)とやりとりをしようとしている」とみなされたから。ここを理解しなければフェミニストの考えをトレースするのは無理。
なので、フェミニストに対して議論することなどもってのほかで、ましてや批判などしようものなら、「この差別主義者、ミソジニー、インセル!」となるのも当然。本人たちからすれば「加害者が開き直っている」みたいな見方になるから。
「ロジハラ」「統計坊や」みたいな拒否反応もまったく同じ理屈でそうなっている。まずこの辺の前提の違いを理解するところから、フェミ学ははじまる。
それ以上のことはツイッターに書くのはもったいないのでnoteに書いた。
これ↓ね。