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「本音」に幾重にもオブラートをかけて、わざわざ意味を取りにくくした政治家の答弁のようになっているから

RT 千田論考の読みにくさについて。同じことを思ったが、あの論旨の分かりにくさ、飛躍の多さは、やはり「本音」に幾重にもオブラートをかけて、わざわざ意味を取りにくくした政治家の答弁のようになっているからだと思わざるを得ない。おそらく「誰にも嫌われないように」と思うあまりの失策では。

@anatatachi_ohno

マジョリティが「本音」を書いていくと大抵自らの根深い差別意識に突き当たる。これは自分にも覚えがある。そういう自分は見たくないものだ。「反差別」を主張する普段の自己像と食い違うから。そこで自己分析をしていくと明快なことが書けなくなるということも起こるがそれを恐れてはいけないと思う。

@anatatachi_ohno

学者、特にジェンダー論の研究者は、何度も何度もそういう自己分析と内省のトレーニングを人一倍重ねている人々だと思ったけれど、そういう深みが感じられなくて、「あっちにもこっちに目配りしてますよ」(でも実際は滑っている)という虚しいアピールばかりが印象に残る。

@anatatachi_ohno

当事者の批判が比較にならないほど説得的でずっしり重みを持つのは、そこに自らの実存が掛けられているのだから、ある意味当たり前のことだと思う。学者が学者だからこそ成し得るのは、偏りのない丁寧な情報収集と精緻な考察の積み上げによって導き出される深い洞察だ。私はそういうものを読みたい。

@anatatachi_ohno

肝心のところで字間違えるなよ。

>自らの実存が掛けられて

→自らの実存が賭けられて

@anatatachi_ohno

結局はネトウヨと同じで純然たる差別を迂遠な論法で修飾しているに過ぎない。

そして、それをある程度自覚している。

だからダイレクトに核心を突かれると「誤読だ」とか「悲しい」みたいな情報量ゼロの反論しかできなくなってしまう。

最初から論ずるに値しないのだ。