/note/social

「コスプレ」しかできない女の子

彼女たちは、自虐はどこまでも出来るけれども自己批判はまったく出来なくて、だからこそ、それでも「わたしはここいる!」「わたしたちだってひとりひとりが"面白い"女である!」「若い女を一絡げにするな!」という精神で、『劇団雌猫』というチームによって、世の中に一つのカテゴリを得たと思うんです。「浪費系女子」という、"若い女"のカテゴリ。

彼女たちがやっていたのは「オタクである自分のストーリーを面白おかしく語ることによる"自己肯定"」ということのみに終始して、現時点ではそれ以外に社会に対する主張などは一つもなく、またそれがあまりにも大々的なものになってしまったために、逆に世の中にそれを"利用されて"、"若い女"としての居場所を、この社会に「与えてもらって」しまった。

浪費浪費と言っているだけで何の主張もしない"若い女"は、適当に社会にカテゴリとしての"居場所"を与えてやってチヤホヤ「話を聞いているふり」をしてやれば、勝手に金は使ってくれるし「承認欲求」も満たされて、満足するだろう。これで"若い女"という漠然としたものを"認めてやる"様式だけはできる、という、この社会の"若い女"に対する対応をトレースしただけのような振る舞いを、『劇団雌猫』なる彼女たちは現在享受してしまっている気がしてわたしにはならないし、そしてそれはおそらく彼女たちが、主張においても顔出しにおいても、何もかもが「中途半端」な状態でことを始めてしまったからに他ならないんだろう、とも思います。