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白饅頭日誌:3月10日「自分の機嫌を自分で取れない人について」

「私は自分の機嫌を自分で取ることができないので、周囲の人に機嫌よくしてもらわなければなりません」と表明するような人間が歓迎されることはまずない。自分の機嫌をコントロールすることもできず、そうしたふるまいによって周囲にどのような影響を与えるかといったリスクマネジメントもできないのは、つまるところ「幼稚性」の最たるものだからだ。

インターネットには、フェミニストに「他罰的な行動規範」を植えつけられ、それを内面化して実践したことで案の定疎外され、「ほらね? あなたは周囲の人から理解されなかったでしょう。でもそれは、あなたが差別されていて、この社会に差別が根強く残っている証拠なのです」と語りかける。このステップを踏むことで、SNSは「フェミニストの鉄砲玉」の一大生産工場と化すのだ。

私たちは「どうふるまおうが自由」「だれと付き合おうが自由」な、便利で快適な社会に生きている。であるからこそ「自分の機嫌は自分で取る」ことの重要性が高まっている。というのも、「自由な社会」では、不機嫌や不愉快や不快感を臆面もなくふりまき、周囲に「ご機嫌とり」を要求する人にとってはきわめて不利であるためだ。

自分の機嫌や好悪をコントロールして「大人」としてふるまえない人間は、周囲に対してよほどの交渉力(例:責任感、経済力、対人魅力、性的価値など)を持っていないかぎり、まともに相手をしてくれるような人はたちまちいなくなる。

現代社会で多くのオッサンたちがいま交渉力の行使や対価の支払いに失敗しているように、将来的にはフェミニストもそうなるだろう。他山の石としていきたい。

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