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白饅頭日誌:4月7日「多様性、人権ポエム、春霞」

だが残念ながら「多様性」や「選択肢が豊富にあること」を誉めそやすような風潮は、この社会の大変動によって「前の時代」の遺物として忘れ去られてしまうだろう。人びとの多様な行動や、豊富な選択肢を自由に行使することが、いざというときには社会の極大のリスクになってしまうことがはっきりと示されてしまったからだ。

「多様性」や「選択肢が豊富にあること」を褒めながら、その同じ口でなおかつ舌の根の乾かぬ内に、別の人には「そんなものは多様性ではない」「そんな自由は認められない」と言い放つような欺瞞的なふるまいによって、たとえパンデミックがやってこなかったとしても「多様性」が称揚されていた時代は終わりを迎えていたことだろう。

リベラリズムの総本山である欧米でこれだけ鮮烈な差別意識を見せつけられておきながら、末寺の日本ではいまだに総本山が棄てた理想を堅持するよう求めているとすれば、これほどしょうもないこともない。「懲りていない」のは杉田水脈だけではなくて、形骸化したポリコレ・ポエムの実在を信じるリベラリストたちにも言えることだろう。保守派が大切にしているらしい「古き良き日本の伝統的な家族制度」を嗤っている場合ではない。存在しない(なおかつ共同主観としての効力も失われた)ものを信じているという点では、リベラリストも同じ穴の狢である。