語りの場に必要なのは「なんでも言える自由」なんですよ。特定の個人を傷つけない限りは、なんでも言える、極論でも言える、それが語りの場に必要なものなんです。フェミニズムはそれを阻む。だから、フェミニズムはナラティブコミュニティにとって敵だとおもいます。
「何でも言える自由」は失われて久しい気がするが。
「公の場」概念が全てを破壊し、人々はそれぞれに居心地のよいコミュニティ毎に分散しつつある。
当然そのような場は有形無形のローカルルールがあり、「何でも言える自由」は制約を受ける。
ただし、人々がそのようなコミュニティを行き交うことで主観的な自由を得ることは可能かもしれない。