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統計・一般論・フェミニズム──フェミとの対話可能性について

一言で女性といっても、立場によって「呪い」との距離感はさまざまだ。しかし、完全にバラバラというわけではなく、最大公約数的な重なりがある。そこから導きだされるのが「必ずしも若さが全てではないが重要な価値の一つである」といった「一般論」だったりするわけだ。こうした「一般論」には、今では婚活での成婚率のような統計的裏付けもある。

このような「一般論」に対し、「いや私の知り合いのアラフォー女性すごい綺麗だしモテるし」とか、「私は年取ってすごく生きやすくなったから若い頃になんか戻りたくない」みたいな反論をするのがフェミニストだ。

それはそれで事実なのだろうが、まさに三島の言う「一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女」の姿だといえる。

フェミニストと建設的対話をするなら前提の共有が必須だが、アンチフェミが前提としたい女性に関する「一般論」や、本能に基づいた「傾向」について、フェミニストが認めることはまずないだろう。先述したように、フェミニストにとって現状存在している「一般論」など、葬り去るべき「呪い」でしかなく、都合の悪い傾向に加担する女性は、女性ではなく「名誉男性」だからだ。そうやって切り捨てて先鋭化していくのが現在のフェミニストなのである。

前提を共有するためのすり合わせが期待できない以上、フェミニストとの建設的対話など不可能だ。ハフポストの対談で、ひろゆきがああいった形で炎上したのが象徴的である。議論の前提を提示する権利はフェミニストの側にだけあり、それに基づいた議論しかありえないと彼女たちは本気で思っている。そこで男性に求められているのは、対話ではなく共感、譲歩、協力、そして謝罪だろう。そうした「戦果」を挙げないかぎり、対話に応じたフェミニストもまた叩かれるのだ。フェミニストとの対話は不可能。現時点での私の結論はこれである。