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男らしさを降りるという事は何を意味するかというと、「社会がリアルへの適応を放棄する」こと

『今日も拒まれてます』という作品、男が弱いと(男らしさが無いと)どうなるかということを、女性目線で良く書かれてあると思います。

メインのテーマはセックスレスなのですが、根底にあるのは「弱い男女同士」という前提で、優しく弱いもの同士の集団は現実こうなるよという事が書かれてあります。

@nabata_me

弱者男性を社会的に救うのは、まあ大切なことなのかもしれない。しかし、彼らに家庭という厳しい現実を任せればどうなるのか、それはが『今日も拒まれてます』の中に書かれてあるんだよね。

「セックスレス」という(現実)問題が起こっただけで、互いを憎しみ合うまでに収拾がつかなくなる。

@nabata_me

男女平等の世の中になれば、そこに求められる男性の性役割は複雑なものになってくる。つまり男らしさ2.0だったり、ネオパターナリズムと呼ばれるものを体得する必要性が出てくる。

一部の女性のような自立を全女性が得ればそんなものは必要無いのかもしれないが、それを得ようとする動きはない。

@nabata_me

ここでワイがネットで拾ってきた、ギルモア(「男らしさ」の人類学)の言葉を思い出し欲しいのだが、リアルへの適応を続けてきた人類は、その男性において一般的にこのような機能を有することを求められてきた。

男らしさについてネットで少し調べた。

世界中で男らしさについては普遍的に

『男らしさは社会がエントロピー、敵、自然の営み、時、及び集団的な生活を危険にさらす人間の弱点に対して直立しなければならない社会的な障壁である。』 デイヴィッド・D・ギルモア

って感じらしいです。

@nabata_me

@nabata_me

男らしさを降りるという事は何を意味するかというと、「社会がリアルへの適応を放棄する」ことになり、その結果は、『今日も拒まれてます』のように夫婦すら維持できなくなってしまう。

じゃあ女性が社会がリアルへ適応する部分を担うのか?少なくともフェミニズムの中にはそんな潮流は無い。

@nabata_me

結果どうなるかというと、男性たちは社会をリアルへ適応させる仕事をしたのちに、新たに生み出された更なるリアルへの適応へアップデートする必要が出てくる。

女性がアップデートすることは無いので、全て自分たちで試行錯誤しリアルへの適応を行わなくてはならない。

頑張ってほしい。(大笑い)

@nabata_me

ぶっちゃけ、現状では結婚にリスクしかないので稼げるようになったパパ活でもやってた方がマシだよねという流れは止められないと思う。

そうするとせっせと子作りに励む移民の人々の人口が増えていくので遺伝子的に見た「日本人」は消滅していくことになるのだろう。

まぁ仕方のないことである。