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「劣位な独自性なんて、主張しても仕方のないこと」理論

劣位な独自性なんて、主張しても仕方のないことだから、独自性を主張するときには、そこに優位性が含まれているべきなんですよね。

平田オリザのインタビュー、ブログ、件のツイートから分かるのは「優位性」と「独自性」の区別がついてないってことなんだけど、ちょっと腑に落ちたわ。

彼が海外と比べて~って日本を批判するのどちらが上か下かしかなくて、それぞれにどんな独自性があるかを考えてないのね。

@SugiShine

@ahiruouji

論理的には存在する組み合わせは4つで、①優位で独自、②優位で非独自、③劣位で独自、④劣位で非独自なんだけど、このなかで科研費の採用のために主張する意味があるのは、①だけだよね。②はそもそも自己の研究とは言えないし、④は空集合と言ってもいい。③は競争力に欠けるものね。

@ahiruouji

まず、優位と劣位を誰が裁定するのか問題。界隈の人間は優位性をアピールするのは当然だし、外野は否定的に見るのもまた当然。文句の付けようもない優位性なんてそう転がってるわけではない。

次に、何をもって優位と劣位を決めるのか評価軸の問題。評価軸や視点が違えば評価結果も変わってくるのは当たり前。では、何をもって評価するのか、その公平性は考慮されているのか。一元的な切り口で語れる問題なんてそう転がってるわけではない。

結局のところ、優位と劣位は共存して当然のものだし、一元的な視点で語れるわけがない。

この前提がありながら、一元的な視点/切り口で物事を解釈する人間はシンプルに頭が悪い。

そもそも、その理屈が正しいと仮定した場合、日本の演劇なんて所詮欧米のフォロワーに過ぎないんだから「④劣位で非独自」ということで、「それでは消えてもいいですね、お疲れ様でした」という話になってしまうわけで。