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「#検察庁法改正案に抗議します」がこれほどまでに拡散した本当の理由 法案の中身の問題だけではなかった

近頃のSNSを開けば、だれもが「ご意見番」になっている。「あなたはこれについて、必ず意見表明をしなければならない」と言わんばかりの威圧的な雰囲気が、どこからともなくやってくる。そればかりか、意見表明をしないと「お前は敵か?」と凄まれることも珍しくはないように見える。

それにもかかわらず、自らの意見をはっきりさせなければならない明確な理由が説明されることはほとんどない。ただなんとなく、だれもが意見を明確にしなければならないかのような同調的な圧力に呑まれているのだ。

世の中の問題はたいてい複雑系である。単純にその場の雰囲気や感情的好悪で直感的に態度を表明するべき事柄は少ない。単純な解答を即時的に見出せないにもかかわらず「~~について賛成か反対か、支持か不支持か態度をはっきりしろ」というイチゼロの問答がSNSに広がっていくのは、人びとがより同質的な人間同士で「つながり」を再構築・再編成しようとする動きが急速に進んでいるからだ。

いま「社会を変えたい」「周囲の人の目を覚まさせたい」という思いに駆られている人びとのなかにも、終わることのない憤懣と渇望に呑み込まれている最中の人が少なからずいるように見える。

「~に抗議します」の流れを受け「あなたのためを思って、教えてあげているのだ」——と、親切心を表明しながらだれかに近づいていき、熱心に政治問題や社会問題を説いて「変化」や「気づき」を与えようと懸命になっている人が数多くみられる。その多くは実際のところ、自分のためにやっている。自分のためにやっているからこそ「意見表明」を求めた相手が、自分の期待している表明を行わなかったとき、自分を否定されたような気分になり、激しい憤りが生じる。

人生は問答無用だ。インターネットで「敵」を見つけて攻撃し、同調する味方を増やしても、その達成は私たちの現実には還元されない。玄関を開けたらすぐに「弱くてしょぼい本当の自分」に押しつぶされないように、少しでもいまを変えていくしかないのだろう。