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「フェミニズム離れ」する若い女子が抱いている違和感の正体

その理由を調べるため、タンブラー「Women Against Feminism」(現在は、ページが削除されている)の「アーカイブ」に蓄積されている写真で述べられている「フェミニズムが不要な理由」をコーディングした(詳細は、「若い女性の「フェミニズム離れ」をどう読み解くか:#WomenAgainstFeminism(2013-2014)の分析から」『女性学ジャーナル』(高橋幸, 2019)を参照してほしい)。

その結果、#WAFで主張されている内容は、大きく政治的・イデオロギー的にフェミニズムを批判する「アンチフェミニズム」(32.6%、数値は全体に占める割合)と、自分の「女性」としての生活実感に基づいてフェミニズムを不要と主張する「ポストフェミニズム」(67.2%)に分けることができた。

(1)アンチフェミニズム(32.6%)

まず、アンチフェミニズムとして、例えば、人工妊娠中絶に反対する宗教保守派女性や、家父長制を重視する女性などがみられた。

また、「すべての男性がレイピスト(rapist)ではない」、「男性を悪魔化(demonize)する必要はない」、「フェミニズムは男性嫌いの運動になっている」といった主張もある。彼女たちは、フェミニズムが「男性」一般を批判しているとし、フェミニズムこそが男/女という二分法(dichotomy)を作り出していると主張する。現状もはや男女不平等はないのに、フェミニストが男/女の二分法を使って議論することで、社会の男女の亀裂がもたらされかねないというのが彼女たちの主張だ。

(2)ポストフェミニズム・「個人」主義(47.8%)

「個人」主義とはどんなものだろう。典型的な主張として、例えば、自分は「抑圧された(oppressed)」「犠牲者(victim)」ではない。「私は自分のチョイス以外の犠牲者ではない」、「フェミニズムは私の声ではなく、私の主張とは異なる」、「フェミニズムに私の声を代表・表象(represent)してもらう必要はない」などがある。

また、女性のなかで経済的自立を獲得している人も多く、女性差別を受けたことがないと主張する人もみられた。「私が一家の稼ぎ手(bread-winner)で、私と夫はお互いに尊敬しあっている」、「私は女性であることが不利だとは思わない」、「私はフェミニズムが必要ないと思う、なぜなら、アメリカに生きている私は平等な権利を持っているから。選挙権があるし、同一賃金(equal pay)を得ているし、平等に教育を受けていて、会社も経営できる」などがあった。

彼女たちは、学校や職場、地域コミュニティといった自分が生きている社会的領域のなかでの男女平等な待遇を当然のものとし、それはすでに実現されているという現状認識を持っている。そのために、もはやフェミニズムは不要だとしているということがわかる。「『弱者』、『犠牲者』としての女性」という「フェミニストが言う女性像」に一括りにされることへの反発が、この主張の感情的基盤になっている。

(3)ポストフェミニズム・性別役割重視(19.4%)

では、もう一つ、「母」や「妻」、「恋人」などの女性的な役割を通した自己実現を求める「性別役割重視」はどうだろうか。

「私は夫のためにクッキングするのが好き」、「仕事から帰ってきたボーイフレンドのために料理を作ることは、私らしくなくなることではない」、「私は女らしい(feminine)ファッションが好きで、女らしくありたいと思っている」、露出の多い服装で身体の一部を強調したセルフィにおいて「こういう格好をしたときに見てくれる人が必要」、「私はレイプサバイバーだが、男性を嫌っていない」、「自分の男(my man)のために私がセクシーであることを、私は愛している」などの主張が、フェミニズムが不必要な理由として展開されている。

彼女たちは、家庭生活や恋愛関係において「女性ならではの役割」や「女らしさ」を楽しみたいという主張を持っているが、このような見解がフェミニストによって批判されていると思い込んでいるがゆえに、「フェミニズム」に反対していると考えられる。

ブラジャーを燃やしたり(bra-burning)、化粧を否定したりする「フェミニスト」という古いステレオタイプなフェミニスト理解に基づいているものと考えられる。男性にエスコートされたい、「妻」や「母」として自己実現したいといった「女性としての喜び」をフェミニストが奪おうとしている、と考えていると言えばイメージしやすいかもしれない。