こうした「ありのままの私」信仰も「理性よりも情緒」ムーブメントの一環なのだと思う。
人間というのは他者との関係性の中に生きるものなので、その中でより強く自分を認識し律することでしか自我というものは生まれないと思うのだが、「どこかに何者の影響も受けなかった素晴らしい私がいるはず」→
日本の女性の不幸は「私は私。どう見られても関係ない」という心を持つことを否定されて育っていくことだよなあ。「どう見られているかいつも気を付けていなさい。気を付けていないから辛い目に合う」と言われ続けていること。
と探し求めて、ありもしない自己肯定「感」を求めたり、「ありのままではない私」への呪詛を吐くようになり、人生の迷子に入ってしまうのだろう。
永久に終わらない自分探しのようなものだ。
無垢の賛美とか完全に宗教やんけ
カトリックかな?