いわゆる「男性原罪論」に傾倒するルートは大きく2つあって、ひとつが小山さんのいう「加害者として生きてきたことに気づいた獣」で、もうひとつが「ホモソーシャルな競争からの敗北者の反動」ですね。
学生時分などにおけるホモソ・ヒエラルキーの敗北経験に由来する男性性嫌悪から、「男性は女性を加害しているんだ」という禊ぎを行い、自分がかつて乗れなかったヒエラルキーの価値をついでに貶めて認知不協和を解消するというパターンですね。
「性的スキャンダルでやらかした著名人」などに異常な攻撃性を発揮するのは後者。前者は自分にも身に覚えがあるので強くは出ない。
青春時代に男らしく振る舞えなかったコンプレックスが「男らしさ」概念そのものに憎悪を抱かせる。
青春時代のコンプレックスというものは生涯ひきずるものだから仕方ない。
しかしながら、その復讐は果たされることはないし、当人らが報われることもなく、全てが虚無である。
彼らに必要なのは復讐ではなくカウンセリングなのだ。