そのような「じゃれ合い」「なれ合い」のなかで語られる狂気とは異なり、実際に大迫力の恐ろしさを見せつけてくるのは「だれもいない空き地に突っ立って、ひたすら壁に向かって大声の罵詈雑言を投げつけている人」である。
ツイッターで例示するのであれば、長年のユーザーであるにもかかわらずフォロワーはほとんどおらず(botなど機械的なフォローバックを行うアカウントくらい)しかし飽きることなく精力的にツイートを連続し、リプライや引用RTを積極的に駆使して他人の攻撃にしか関心がないような人のことだ。
だが「空き地の狂人」は違う。なぜなら彼・彼女は「だれもいない空き地で大声を出すなど恥ずかしいし虚しい」などという、一般の人びとが往々にして抱く現実感覚に即した常識などいっさい持ち合わせていないからだ。というより、彼・彼女たちは「自分が現実で普段からやっていること」をそのままSNSでも再現しているにすぎないのだ。
「空き地の狂人」は、自分が放った言葉によってますます興奮してしまっただけなのに、罵詈雑言を投げかけた相手によって「自分は不当な怒りを抱かされたのだ」とお門違いの被害意識を持つようになり、ますます強い憎悪をみなぎらせるようになる。
空き地でさらに憎悪と怒りのボルテージを高める姿は「フォロワー数万人を抱える変な人」のように冗談では済まない。比較にならないほどエキセントリックに見える。人は輪をかけて寄り付かなくなり、孤立と疎外は一層その闇を強めてしまう。
備えよう