DDDって「業務をよく学びなさい」「早めにコードで検証しなさい」「そうやっていくことでしか見えないのです」という当たり前すぎて、もう、なんともしようがない結論でしかないのだよね...。DDDはカタログ集ではなくパターン集に過ぎない。
DDDを学んでいこうとしている人を絶望させてもしょうがないんだけど、でもまぁ、そういう身も蓋もないことに心底絶望することができて、はじめて「覚悟を持って自分の判断を信じる(しかない)」ということができるのかもね。
そうか、DDDって「業務とITを良く理解し、コミュニケーションがうまい人にしか正しい設計はできません」と言っているわけだ。チーム力で補完するのありとしてだ。もはや清々しい結論だな。ははは...
ただ、今になってDDDが再注目されているのは巨大なシステムをドメインの分割にしたがってサービスとして分割していっても管理ができるようになったからだ、と考えるべきなんだろうね。DDDも少しは実装可能になったのでしょう。
DDDは学んでも明確な解が得られないのがしんどいという感は実際ある。
工学(エンジニアリング)ではなく技芸(アート)であるということなのだろうか。