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白饅頭日誌:9月2日「オンライン・ドッペルゲンガー」

ツイッターは仕様上、その発言のログはさながら川の流れのように時間経過とともに流されていき、参照することが難しくなってしまう。そのため「場当たり的に虚偽のプロフィール」をその時々に応じて騙る行為は、じつに効果的なのである。ツイッターではその瞬間における「共感性の高さ」が、論理的一貫性や整合性などよりも重要だからである。ツイッターは「だれが言ったか」でもなく「なにを言ったか」でもなく「どれだけお気持ちにさせたか」が正義のSNSなのだ。

ツイッターは嘘つきにとって極めて有利なフィールドである。嘘つきと同じフィールドで戦っているかぎり「コイツは嘘つきだ!」という告発によって、あわよくば一時的な信用にダメージを与えることはできるかもしれないが、相手の社会的信用を恒久的に失墜させたり、永久に退場させたりできるような見込みは極めて薄い。

「嘘の味」が忘れられなくなった人は、自分の人生に与えられた時間を、自分自身の現実をよくするためではなく、オンライン上に作られた「偽りの自分」に対する賞賛と共感が集まることに費やすようになっていく。現実の自分が、オンライン上の「偽りの自分」の人気や支持や同情や共感のために、多くの時間や労力を割いて奉仕するという、想像するだに恐ろしい状況が出来上がってしまう。

現実の自分の人生をよくしていくのは、地味で時間がかかる。おまけにコツコツ積み重ねてきた努力が実を結ぶともかぎらないし、人が羨むような成功者になれる確率もすこぶる低い。そんなことに人生の貴重な時間を費やすくらいならば、SNS上の自分を豪華にデコレーションしていくことの方が、はるかにお手軽でリターンも大きいように思えるのは当然だ。たとえ病的な嘘つきでなく一般の人びとであっても、この誘惑に抗える人は案外少ない。