脱コルは女性が”主体的に”女性ジェンダーを手放そうとするという点では素晴らしいと思う。これがフェミニズムなら、男性の意識改革によって女性の負わされた苦しみを解放しようと考える。
しかし、残念ながらその訴えをしている人間が実際に女性ジェンダーを手放すケースは見たことが無い。
要は「男性に選ばれたい」「大切に扱われたい」「男性のように扱われなくない」の部分は消えていないのだ。
つまり、化粧はしない、そして、そのままの自分を”受け入れてほしい”ということだ。
残念だが、受け入れてほしいのであるなら、受け入れ先の需要に合わせる個体の方が圧倒的有利になる。
更に残念なことに、これを実践するある有名な女性、若いのだが体型はかなり豊かで”化粧でどうにかなる”ようなレベルではない。
化粧をしてもどうにもならない人が、いわゆる綺麗な女性を「メディアが作り上げた像」として批判し、「私は化粧やめます」と言う。
ここにどうしても”本音”を感じてしまう。
うーん、そういうものだろうか?
「男性に選ばれたい」「大切に扱われたい」「男性のように扱われなくない」の部分は消えていないのだ。
誰だってとりあえず「大切に扱われたい」と思うものでは。最低限対等に扱われたいとか。
「男性に選ばれたい」はどのぐらい普遍的な感情なんだろうか。結婚願望がある女性が多数派であることを考えると普遍的なものなのだろうか?