新聞記者の中の人たち、これだけSNS使っていても、自分たちがマジで世間から軽蔑されているだけだって気附かないの、やっぱり認知的不協和みたいなアレですかね。
「妬まれている」のではなくて「軽蔑されている」ので、そこのところは勇気を出して認めましょうよ。嘘も隠しもなく本気で軽蔑されているんだよ。
そして、新聞記者が世間から軽蔑されるようになったきっかけが、まさに新聞記者によるSNS利用が発端で、曲がりなりにも新聞ジャーナリズムを真に受けていた人たちにとっては、こんなに頭の悪いことを堂々とTWするような人間が新聞記事を書いているのかという衝撃があったんですよ。
それ以前は変な記事が載っても「いや、新聞記者ともあろう者がこんな頭の悪いことを本気で考えているわけがない、これには何か裏の真意があるのでわ」みたいに読者が勝手に忖度していたんですよ。「新聞記事は書いてあることの裏を読むのが正しい読み方」みたいな説が風靡していた時代だったので。
でも、SNSで記者アカウントが本音でぶっちゃけトークをするようになったら、何のことはない、新聞記者って頭の悪いことを真顔で考えてる頭の可哀相な人ばっかりだったという実態がバレてしまったんですね。
一連のTWの中で、今の人があんまり実感できないだろうと思うのは、「「新聞記事は書いてあることの裏を読むのが正しい読み方」みたいな説が風靡していた時代だった」というくだりだな。
今では信じられないけど、オレの若い頃は「新聞記事は書かれた内容を素直に読むのではなく、記者が記事に込めた裏のメッセージを行間から読み解くのが正しい読み方」という言説が流布していたんですよ。
昔の文芸作品と同様に、新聞ジャーナリズムにも「読者が積極的にテクストに内在する真のメッセージを受け取る努力」みたいなのが要求されていて、そういうのが読めないと莫迦にされる時代があったんですね。
そういう流れがあったせいで、新聞記者がどんな莫迦な記事を書いても「この莫迦な記事が俺たちに伝えようとしている真のメッセージは何なんだ?」って読み手が勝手に忖度して、結局書いてあること以上の意味が取れなくても「多分何か意図があるんですよ」でオシマイだったんだよな。
そういう風潮があったせいで、「新聞記者が莫迦だから莫迦な記事を書いた」という一番自然な解釈が排除されてきたんですね。まあ、マジで裸の王様的なアレですよ。