なぜ日本人は論理的に意見を述べるよりも、感情論や場の雰囲気に流されるのか:哲学ニュースnwkより
日本人の特徴
お上の下に自分たちの社会があると信じている。
自分で考えた価値観を持てず、所属する「村」の決定した価値観に従う。
自らの判断を偽り、自己主張を慎むように装う。自ら考えず、目立たず、物言わずを信条とする。
「村」の掟やしきたりにのみに従って全ての問題の解決を図ろうとする。
自分たちとは異なる様々な観点を認めずに否定的に関わる。すなわち、異質をつねに排除しようとする。
自分の所属する村のみに通用する物差しがあり外部の物差しを認めない。
遠くにいる人間とのコミュニケーションが苦手である。
議論を嫌い陰口を好む。
強迫的横並び志向を有する。
日本人の構造的特徴
数の暴力によるボス支配と親分子分のヒエラルヒーが存在する。
出る杭は打たれ、常に足を引っ張り合い、互いに相手を自分のレベルにまで下げようとする。
排他主義に基づく「井の中の蛙」的仲間意識が存在し、自分の理解できない『他者』の存在を許さない。
「優れたもの」「才能がある者」に対する妬み・嫉み・ひがみなどの劣情を組織し排撃する。逆に、「劣ったもの」と規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
透明性にかけ、談合や地縁・血縁・コネ・情実に最高の価値を見いだす。
つまり、日本社会とは、
不透明・内向型社会、異質排撃型社会、相互監視密告型社会、劣情組織化社会、固定的利益連鎖至上主義社会、身分的上下関係墨守社会であり、
さらに、論理否定型社会、技術革新拒否型社会、学習否定型社会であって、一口で言えば陋習万能の退嬰的社会であると定義される。