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表現の自由戦士は社会学ヘイトを今すぐ止めるべき

医学者が「コロナを収束させるにはこれだけの行動制限、ロックダウンが必要です」と発表するのは学問の自由だ。

もちろん経済学者は「そのような行動制限をするとこれだけ経済が落ち込み、これだけ経済が落ち込むとこれだけ自殺者が出ます」と発表するのも自由だ。それも学問の自由の問題だ。

そのような医学や経済学の発表を聞いて「現在の憲法ではそのようなロックダウンはできません」と発表するのが法学の自由権の問題であり、その問題をどのように解決するかが政治の問題だ。

場合によっては「わかりました。ではコロナを収束させるロックダウンを可能にするために憲法を改正します」ということも政治は出来る。

もちろん、そこで「ロックダウンしたけれど収束しなかったじゃないか」となったらそこで提言した医学者の責任になる。

同様に、社会学者が「萌え絵があることでこれだけ女性差別が促進されていて、萌え絵を禁止することで何年で女性差別が解決します」と発表するのは社会学の学問の自由だ。

あくまで表現の自由が立ち入るべき問題は「そうは言うけれど、実際は現在の憲法ではそのような禁止はできます/できません」という部分である。

にも関わらず、表現の自由戦士は「そのような萌え絵禁止のような提言をする人を放置して自浄作用を働かせない社会学そのものがおかしい」と主張している。

まさにこれは社会学全体に対するヘイトスピーチではないだろうか?

という感想が生じた。