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自分の思想の正しさを確信するあまり、自分の目的を優先するあまり、批判者や違う意見を持つ人間を悪魔...

自分の思想の正しさを確信するあまり、自分の目的を優先するあまり、批判者や違う意見を持つ人間を悪魔化したり、意図を安易に推測したりして、相手が本当のところ何を言おうとしているのか、そこに正当性や理があるのかないのかをちゃんと確かめようとしない態度が無意味な対立を悪化させるよねって

@naoya_fujita

言った側は「伝わらなかった」「軽視された」「レッテル貼られた」と感じるし、「相手には党派性があるんだな」「イデオロギーの認識に支配されてそれに合わない現実を無視するんだな、現実を見えてないな」と感じやすくなる。鬱憤もたまるし、ちょっと危険だなと感じられるのも分かる。

@naoya_fujita

その主張が本当に理や正当性があるものだった場合は、これは大変よくない帰結を招くだろうと思う。「対話」というのは、直接話すということではなくて、ちゃんと相手を人間として見て、言っていることや指し示している現実を虚心に理解しようと試みる努力のことだと思う。

@naoya_fujita

これはこれで「分断」なんだよ。多分、お互いに相手は無知でカルト的で党派的で現実が見えてない連中だと思っていて、自分たちの同じ性質は甘く見積もっていると思う。内集団バイアスと外集団バイアス、進化の過程で人間が獲得した本能によって。

@naoya_fujita

ちゃんと、内容を虚心に読んで、書いてあることを書いてある通りに理解し、どういう言説空間の中で何を意図し、社会全体をどう変えたくてこのような書き方や言い方、内容を選択し、何を実現させようとしているのかをちゃんと推測する努力をしてから批判するべきなのでは、と思ったりする。

@naoya_fujita

言説が社会に与える「機能」を問題にするなら、当然そうするべきだろうと思うのだけれど。

@naoya_fujita