回答ですがフェミとかあっち方面は全部そうです。
問題解決に当たって「自分が強くなる、自分が作る、自分が与える」という、キツイ道は選ばず、「ひたすら他人に要求する。その根拠として私たちは弱くて被害者で可哀そうだから」という手軽な道を選ぶタイプ。
根本的に自分も回りも不幸になる道やね
なんせ大前提として「私たちは弱くて被害者で可哀そうで他人にアレもこれもしてもらわなきゃ何もできません。言葉一つに至るまで完璧に配慮していただかないと傷つくくらい弱いです。」だもの。
そしてそれはお題目ではなく「本気」になる。
そりゃ社会がどう変わったって永遠に不幸なままだよ。
神のごとき力を手に入れて全てを望み通りにして、それでもなぜか満たされなくて、そこまで行って初めて「あれ?コレ社会の問題というより私の問題じゃね?」と気づくタイプやね。
実際にはそこまで望み通りになる前に社会が見捨てるのでやっぱり気づくことはできず、不幸なまま終わるというアレ。
被差別部落の人々が差別利権の相続みたいなことして徐々に反社認定されつつあるのと一緒かな。
何世代か後には自分の利権のために被害者づらする連中としか見なされなくなるのだろうか。