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白饅頭日誌:4月17日「水と油、犬と猿、多様性とアップデート」

自分と他者の価値観の相違があることも容認できているし、政治的にも社会的にも性的にも考え方の違いがあることを受容している。男女は平等な機会のもとで競争し、活躍の場を得られればよいと考えているし、外国の文化に対してもことさら拒否的ではなく好奇心旺盛だ。これをリベラルと呼ばずしてなんといおう。

他方で、アレがよくない、コレは糾すべきなど申し立てる「リベラル」を標榜する野党(立憲民主党や共産党)のことを、「自分の考えを押し付けようとする規範主義者」として、むしろ「(道徳)保守」とみなしている。

なぜ「多様性」を求める人が、別の人のそのままの価値観や考え方を尊重できないのか、若者たちには理解できず「この人たちは、本当に多様性が好きなのか?」と訝(いぶか)しげである。

いや、理解できないどころか、ダブルスタンダードに見えて印象を悪化させてしまう。自分や自分と親和的な考え方や価値観は「多様性」の範疇としてそのままの姿であることを認めつつも、気に入らない考え方や価値観については「アップデート」によって捨てることを要求する――こうした欺瞞的ともいえる態度への違和感を、平均的な若者たちは「多様性」と「アップデート」の二刀流の使い手たちに(はっきりと言語化できないとしても)覚えてしまうのだ。

若者たちからすれば、自民党の長老たちのような「時代遅れ、流行遅れ」な考え方を持ちながらも(それもまた多様性だ)、しかし自分たちのライフスタイルや行動様式に口出ししてこない人はリベラルに見えるし、野党やその支持者のように「時代遅れ、流行遅れ」な考え方を見つけたら、それを「多様性」の旗を振りかざしながら糾さずにはいられない人びとの方が、頑迷な保守主義者に見える。

橘玲の「朝日ぎらい」でも同じことが述べられていたな