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欧米だと、女性や子供や車椅子利用者等、弱者が権力や集団に歯向かうのが、その人の態度や性格に関わらず支持...

欧米だと、女性や子供や車椅子利用者等、弱者が権力や集団に歯向かうのが、その人の態度や性格に関わらず支持されやすいが、日本では、その人の立場や属性より「偉そうに振る舞ったり道徳心の欠如がある人、またはそう見える行為」に生理的嫌悪感を示しがち。グレタさんに対する反応でもそう思う

@6d745

電動車椅子の活動家の件も、これが欧米のどこかだったら、支持されこそすれ、日本のTwitterで大荒れしている感じにはならなかっただろう(ポリコレ上でもメディアはそちらばかり取り上げるだろう)。ちなみにわたしは中立の立場なので、それが良いとか悪いとかの話はしてません。違いが興味深いのです

@6d745

昔は単に突撃しに行くのが有効だったけど、SNSの時代の今は、活動家の人となりまで可視化される。個ちん的には、作品と作者の人格は別だと思うのと同様に、社会活動と人格は分けて考えるべきだと思うけど、今は、特に日本では、社会運動も支持を集めたいなら見せ方は考えないと損だなと思う。

@6d745

ちなみにわたしは、自分は社会運動家や活動家ではなく、表現者だ、と思うのは、「自分の主張が社会に広く支持される為に、支持者の意向や大衆受けも意識する」なんて絶対無理だし、全ての人に理解されたいとか、まんこが嫌いな人の意識まで変えたいとは、一切思わないからです🍀

@6d745

欧米では、属性や目的の方が大事で、その人の人となりとは分けて考えられる傾向なのって、昨日疑問だった、「concept とcontext をくっきり分けたがる英語圏の人と、context はconceptに含まれ得るし相互補完の言葉でもあるのでくっきり分ける事に戸惑う日本人の違い」に通じるのかなー。面白い…👀

@6d745

相変わらず、「その気持ちはわかるけど(あいつのやり方はダメなんだ)」とどっちが悪いかを言いたがる人が来る… わたしは、正誤や善悪や敵味方のdichotomous thinking は、つまらないし興味ない。

@6d745

今回の車椅子おばさんみたいな案件で外国と日本でリアクションが異なるのは、外国では現場の駅員が「給料以上のことはしないよ。会社と交渉してくれ」で済ませるし、それが当然と見なされるからではないだろうか?

外国では現場の人間は給料以上のことはしないけど、会社がそれをサービスとして取り込むなら賃金交渉をした上でそれをやるというフローが発生する。つまり、現場の人間に過度な負担が発生しない仕組みができているし、対応すべき主体は企業であるという合意もできている。

だからパフォーマンスとしての突撃はあくまでパフォーマンスとして機能する。

一方日本では「現場の努力でなんとかしろ」となってしまいがちなので、割を食ったり矢面に立たされるのは現場や決定権のない人間になる。

だから、パフォーマンスとしての突撃で本当に被害が発生する。実際、車椅子おばさんの件では100kgの車椅子を人力輸送という危険な作業が発生した。

そして、それを見ている一般市民たる我々もその構図を知っているので、「現場の人間の方が被害者じゃん」と現場の人々の方に同情が向くことになる。

実際問題、現実に危険な作業が発生し、現場の人間にリスクを負わせた以上、批判が発生するのは仕方ないし被害者面されてもな...という感じはある。

企業の姿勢に一石を投じるんだ...! みたいな感覚なんだろうけど、パフォーマンスはその深刻度によって評価される面はあって、死者が出るような緊急性の高い案件は強硬手段も許容されるけど、今回はそんなことないだろいい加減にしろというのが多数派のジャッジだったということだろう。