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「この指とめよう」批判撲滅キャンペーンとリベラルの独善性

誰にとってその正しさが都合が良いのか考えればわかりやすいけれど、こういうのはネットを中心に活動しているインフルエンサーにとって都合が良いだけのことなんですよね。「この指とめよう」に名前を連ねている人達を見てもほとんどが社会的にグッドなポジションにいて彼ら彼女らはもう上にあがった人達なので大衆が自由に批判できるような言論空間は必要ないのでしょう。

リベラルの道徳的世界線は考えが極端に浅いものが多い。「この指とめよう」もそうで、繰り返しになるが、普通に考えて指一本で人が救えるはずがない。それこそコピーライティングとかで考えるべきではないものまでも短文化してシンプルな結論に着地させようとする。

リベラルエリートが大衆を統治するために道徳を持ち出して批判を封じ込めようとする一方で自民党保守も「批判なき政治」を行い、利権を守ろうと躍起になっている。どちらも自らに向けられた批判を独自の信念で回避していることは変わらない。自民党保守は「現実的」「現場主義」などで批判をないがしろにし、リベラルは心証によって自身に向けられた言説を批判か誹謗中傷か取捨選択し、自由に選び取っている。そうして右と左に関係なくあらゆる批判が封殺されていくことになった。もしくは批判しても意味を為さない社会になった。