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長男と女性は大学に行かせないことが常識だった、1965年ごろの長野県山村の話

これはなぜかというと、母の実家である長野県山村では、当時(1965年ごろ)長男は農家を継ぎ女性は嫁に行くというのが人生の既定路線だったから。どうせ家を継ぐのに、どうせ嫁に行くのに、学歴なんてあってもしょうがない。当時、母の父(私の祖父)はじめ田舎の人間たちはそう考えていた。

当時の田舎の常識に照らし合わせて考えてみれば、確かにこれは合理的選択だったのだと思う。農家の仕事をするのに学歴なんて必要ないし、嫁に行くにしても同様だ。祖父にしてみれば、むしろ一番可哀想なのは継ぐ家もなく嫁にも行けず、外に出て戦わなくては生きていけない弟だったのだろう。だから世間で戦う武器として親心として、せめて大学には行かせてやった。祖父はそう考えていたのだと思う…