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自分が不幸・不遇である事に慣れ過ぎた個体は「救い」ではなく「共感」を求めるようになる...

自分が不幸・不遇である事に慣れ過ぎた個体は「救い」ではなく「共感」を求めるようになるんだよな。幸せを望むのに疲弊したり、幸せを思い描けなくなったり、逆に幸せな自分に気持ちの悪さや罪悪感を覚えるようになった結果、救いよりも共に地獄に居てくれる人間を求めるようになるというな。

@rei10830349

そういうのは古来より「負け犬の傷の舐め合い」と言われてきたわけだが、現在は「最初から負け確」のレースばかりで敗北者の数ばかり増えているというのが問題である。