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昔の友達がニュース激怒マンになって悲しい私

自分は神経質な人間で、なるべく常に楽しいこと、スムーズなことだけを眺めていたい気質だから、ニュースとか、それに関する他人の感想なんかをあまり見ないように生きている。こういうことに関して不満とか怒りをわざわざ表明し合っている人間の気持ちがわからない。そうすればするほど、余計に傷ついてストレスを溜めるだけなんじゃないだろうか。というか、これ自体は本題ではなかった。ここまで書いたことと、いきなり矛盾するんだけど、私には今、これと関連するある不満があって、モヤモヤがとうとうどうにもならなくなったので、書いて吐き出すことにする。完全に実録克明にせず、いろんなところを半フィクションにしてぼかす。

昔仲がよかった私の友達が、毎日毎時間ほとんど、SNSで政治経済のニュース記事を引用しては「アホ」とか「無能」とか怒り散らかすだけの脊髄反射マシーンになってしまった。ちょっとしたことで何年か前から疎遠になって、個人的な連絡先はもうわからないけど、アカウントのフォローは続いてたから投稿だけはなんとなく見ていたんだけど、とうとう先日ブロ解させてもらった。古い漫画やポピュラー音楽に造詣が深くて、この種の細かいウンチクとか私見を書かせたら、特定作品によっては右に出る人間はいないんじゃないか、と思わせるほどで、それが楽しみだったんだけど、そういうことを書くことが、ここ何年かでほとんどなくなってしまった。何より、もともと持っていたはずの、ほがらかなユーモア精神みたいなものが失われてしまったように見えて悲しかった。現時点でお互いに知り合ったんだったら絶対に友達にはなれない。

ここからは邪推だ。この友達は社会的には立派な勤め人で、私と仲がよかった頃よりは、経済的には不安定でないはずなので、貧すれば鈍するという種類の変調ではないと思う(思いたい)。友達が私淑する評論家・作家のふるまいに合わせているのか、新たにつき合い出した友達なり恋人の影響か、もっと単純に加齢か、趣味の変化か。あるいは、SNSで四六時中怒ってみせることが「今の流行」だからそうしているだけ、カルチャーについて何か書くよりも、そっちのほうが手っ取り早く反応を集めることができるから、という軽薄なケース。いや、そうじゃなく、これが私が知らなかった友達の本性で、単に自分の思想に心地よくフィットする行動をとってるだけなのかもな。

しかしこんなことをつらつら考えて、一体どうなるというのか。一生懸命連絡先を探し出して「もっと周囲が楽しく面白くなることだけを書け」とかわざわざ忠告しに行ったら、ヤツはどんな反応をするだろうか? 私が望ましいように「改心」するというのだろうか? むしろ私は迷惑扱いされるだろう。私は、癇性病みで、ことなかれ主義で、天下国家に関心のない愚かな変わり者という目で見られて、そのときに本当に友情が壊れてしまうに違いない。そんなことをわざわざやるエネルギーも度胸もない。一体どうしてこんなことになってしまったのか? どうして私は自分勝手に悲しいのか? そもそも生まれてきたからか?