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本邦「社会学」話法が、ある時期から悪い意味での広告代理店的なものになって...

本邦「社会学」話法が、ある時期から悪い意味での広告代理店的なものになっていったらしい過程。

大衆社会的現在に向かって何らかの「効果」をあらかじめ当て込んで発する言葉やもの言いのあり方の必然として、と同時に、その中で「主体」が煮崩れて彼我の線引きすらできなくなっていった背景も含め。

@kingbiscuitSIU