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クボユウスケという人がマジですごい

#kutooo 運動の創始者である石川優実氏が、ここ最近ビジフェミ界の猛り狂う邪神と化しているのを知って以来、野次馬根性からか彼女を観察するのをやめられなくなってしまった。「こうすれば炎上するに違いない」という打算と本物のヒステリックな怒りが入り混じった意味不明な言動、そしてそれを用いた猛獣の如き全方位攻撃は“”社会運動“”の神輿にまつりあげられてしまった人間がどう壊れていくかの貴重なサンプルであり、ドキュメンタリックな臨場感に溢れている。

彼女はいわゆる“界隈の姫”であり、石川氏がレスバに興じるさいにはフェミニストを自認する大量の男性アカウントがわらわらと湧いてきて彼女に援護射撃をしたり後ろから撃ち抜いたりしている。基本的に男性を男性であるというだけで異常に嫌悪し、「男は性欲のみを原動力とする恐ろしい化け物であるから彼らの娯楽は全て取り上げ檻にでも閉じ込めておかねばならない」と定義するツイッターフェミニズムを全面的に肯定しているというだけでかなり歪な哲学を持っていることが自明だし、その上で「自分はそのような怪物ではなく、フェミニズムによって浄化され女性を敬うようになった解脱者だから大丈夫」とでも言いたげな彼らの姿勢を見ていると“名誉男性”ならぬ(ラディカルフェミニズムにおける)“名誉女性”とでも呼びたくなってくる。

その男性擁護者たちの筆頭にクボユウスケ氏が存在する。

彼はとてもすごい。

クボ氏は石川氏と親しい間柄のようで、頻繁にリプライでやり取りしている姿を見ることができるし、ここでは特に言及しないが、石川氏のTwitterアカウントの運営に携わっているらしいという疑惑さえ出てくるほど石川氏に近しい。

では、彼の何がすごいか?

彼は人を苛立たせる才能にあまりにも長けているのだ。

石川氏が誰かを燃やしたり逆に誰かに燃やされていると気づくや真っ先に駆けつけ、侮辱的な屁理屈を投げつけるのがクボ氏の仕事なのだが、その鋭さたるや並大抵のものではない。

彼の言葉には、それを投げつけられた側がどうしてもカッとなって買い言葉をぶん投げてしまったり、なんか変な受け取られ方してると感じて誤解を解こうと一生懸命返信したりしたくなってしまう魔力に満ち満ちている。言い回しも刺々しく上から目線で、絶妙に相手の話を聞かずに少しずつ論点をずらし、勝手に勝ち誇る。また石川氏シンパ以外のフェミニストにも積極的に喧嘩を売ることで、人々の義憤を喚起しやすい選民思想も鮮烈に見せつけていく。あまりに技巧的だ。

そして彼が敵対者に貼り付けるレッテルもまた、非常に的確に反論をさそう「ズレ」で彩られており、本当に攻撃力が高い。

まともな思考回路の人間はたとえば「通り魔事件の被害者を悼むサイレントデモ行為をなかば揶揄した形の支援金の募集活動がTwitter上ではじまる」→「この支援活動に金を落とした連中は全員アンチフェミのオタクで声を上げる女性をおちょくりたいだけの粘着アンチなんだな!」という連想ゲームはできないし、ネタで思いつけたとしてもうっかりツイートしたりしない。むろん彼がこういうぶっ飛んだレッテル侮辱をするのはこれが初めてではない。

いくらなんでもそんな喧嘩の売り方しちゃダメだろと思うようなやり口のさらに下を行く、侮辱とか以前にあまりに倫理観に欠ける言葉をポンポン思い付きポンポン投擲できるのは間違いなく正常な精神に基づく行いではない。

クボ氏自身の存在それ自体もこの優れたヘイト管理能力の一部だ。彼のツイッターアカウントは、いわゆる“意識高い系アカウント”そのものの見てくれながら何をしている人なのか全くわからず、不気味さとあまり綺麗ではないビジネスの臭いを放っている。これによりそういったものを本能的に嫌悪し警戒しがちな人間が多数を占めているアンチフェミ界隈の、クボ氏の言動に対する怒りを更に煽ることができるのだ。Googleでクボユウスケを調べようとすると真っ先に「クボユウスケ何者」と出てくるのが良い。「職業」とか「経歴」とかそういうのではなく「何者」というなんとも言い難い問い。まさしく彼の立ち振る舞いを見た多くの人が「なんだこいつ……(ドン引き)」と思ってきたことの証左であろう。

ここまで読んで「こんな特徴を持つ石川氏親衛隊はいくらでもいるだろう、つーかだいたいそんな野郎ばっかりじゃんか」と思われる方もおられるだろう。確かにそれはそうなのだが。そうなのだが、だからこそトゥギャッターなどで彼がレスバをしている姿をきちんと見れば他の騎士たち、そして何より石川氏の言動とも一線を画すクボ氏の横柄さ、異様さに愕然とするはずである。

石川氏の“売り言葉”には、彼女の少々ゆがんだ価値観にもとづく失言や鬱憤やわがままや憤りなどが詰まっており、ある種の人間くささがきちんと感じられる。クボ氏以外の騎士団員の言葉にもやはり、石川氏を思いやる気持ちや純粋さ故の間違った怒りが彼らの人間性を照らし出しているのを見てとれる。

翻ってクボ氏の発言を見てみると、彼はもしや人間を苛つかせるために開発されたAIなのかとさえ思えてくる。他の男性に見て取れる石川氏への媚びもほとんどなく、むしろ敵対者を的確に逆上させることで石川氏陣営とのレスバをさらにヒートアップさせるための布石を丁寧に並べていることが多い。そこには彼の驕り高ぶりと“まちがったふぇみにずむ”のあまりに恣意的すぎる印象が輝いているだけだ。機械的ですらある。なぜこんなに的確に人を怒らせ愕然とさせることができるのか。

それは分からないが、一つだけ確かなのはクボユウスケ氏のようなヘイト発生装置がエンジンとなっていなければ、石川氏は今のように暴走ロケットの如くブッ飛び続けることはできなかったであろうということだ。クボ氏がレッテル爆撃を行うことで呼応する様々な属性の義憤を掘り起こし、それらすべてを自身およびフェミニズムに対する攻撃とみなして迎撃しようとする石川氏の狭量さと溢れる攻撃性が両輪となって“フェミニズム”を彼方まで運び去り続ける。

ゆえにクボユウスケは#kutoo 運動における最大の功労者であり、拡散の立役者でもあり、世間への浸透後の歪な軌跡の象徴とも言えるだろう。