リベラリズムの根幹にあるのは寛容の精神だが、寛容の精神と共感性は相性がとても悪い。共感性の強い人は自分の価値感と相容れないものに対し寛容さを否定する理由を探してしまうからだ。
罪刑法定主義、無罪推定の原則、適正手続きの保障、表現の自由などリベラリズムを根にもつ制度が感情的な批判に晒されることが近年非常に目立つ所以である。
万人が各々の意見を開陳できる環境を持てば自然とそうなる。
前世紀では家庭でテレビに向かってブツクサ言っていたしょうもない感想や論評がテキストデータとして世界に発信されるのが現世である。
大半の人間は思想や社会について定見などないのだから、それらのアウトプットは常に感情的・差別的・強権的になるのはやはり自然なことなのだ。