「東さんがまともな人として残ったのはなぜ?」と最近会う人によく聞かれるんだけど、俺は東さんと会ったこと一度もないし、本も俺が頭悪くて挫折してしまったくらいなんだが、一般論として「会社を立てて他人の人生を預かる立場になるとだいたいああいう感じの人になる」としか言いようがないという。
この10年の震災、安倍ちゃん、コロナで言論界も篩い分けがおおよそ終わった感はあるよね。狂った人が戻ってこなくなった。何だかんだ、あずまんってやっぱり「強い」んだなぁと思った次第
どうみても東さんのいまの思想的着地点は「中小企業経営者あるある」なんだけど、それがもともと大学教員かつコテコテのリベラリストという点で異彩を放っているということなんだろう。
「中小企業経営者あるある」になると、大学教員やそのフォロワーが形成しているネット世論がいかに局所的かつ狭小的なものかがわかる。大多数は「生活者」として生きている。
東さんはインテリアカデミアサロンから抜けて、大衆社会の生活者側の視点に、イシグロのいう「縦の旅行」をしたせいで、その衝撃というか当人にとっての「かつていた場所」に対するグロテスクさがより鮮明に見えるのだろう。
東さんがまともな社会感覚を持っている一方で、金髪君が暴走しまくっているのは、かなりわかりやすいコントラストだし、それぞれの原因と結果ははっきりと見えやすい。