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他人の不愉快な発言を聞かされる問題は、民主主義の避けようがないコスト負担

「俺はコイツ嫌い」などと表明するのは悪いことでダメなこととする発想があるけど、レッシグの発想でいくのならば、他人の不愉快な発言を聞かされる問題は、民主主義の避けようがないコスト負担であって、一番の問題は、その民主主義のコストを全員が認識して負担しろと強いてない制度、になろう。

@mishiki

民主主義の果実だけ頬張って、自分の悪口は遮断し不愉快な表現を目に入れずに済ますということは出来ないのだ。その不快感を飲み込むために人は教育を受けて「成人」にならねばならぬのだ。という発想だと思いますね。憲法が、非常に倫理的で道徳的な話にも入ってくるわけです。

@mishiki