まあ結構な昔なんだけど、「お前が女性らしくあることが女性性やその表象を強化することにつながり、結果的に同じ女性を苦しめるんだぞ」という界隈お得意の脅し文句に引っかかってしまった。
脱コルセットというのは、簡単に言うと「女性が女性らしさを放棄することを通して、ジェンダーそのものの破壊・無力化を目指す『運動』」である。
だから、脱コル女性が「脱毛やめた」とか「化粧やめた」とかいうのは、それ自体が目的なのではなくて、上記の目的を果たしたいという意思表示であって、つまりは「黄色いベスト運動」で黄色いベストを着るそれとほぼ同義なのである。
彼らの理屈ではこうだ。
そもそも、女性が外見を装飾する文化それ自体が、男性を喜ばせるために社会全体で歴史的に仕組まれてきた無為な競争である。
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そのため、この社会で育てられてきた女性には、装飾に関して真に『主体的』な選択は『放棄すること』以外に存在しない。
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女性が徹底して女性らしくあることを放棄すれば、そのうち男性たちは女性が女性らしくあること(男性たちを喜ばせる文化)を諦めるだろう。
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すべての男性が女性らしさを求めなくなった(≒女性らしさが忘れ去られた)世界になって初めて、女性は主体的な装飾をすることができる。
その世界ではどれだけブスでも毛がボーボーでも可愛げがなくても文句は言われない。
彼らは、「男性に都合のいい選択をする以上、それを選んだ主体性とは社会に作られた偽りの主体性である」というのである。
とある女性が
「私は好きでスカートをはいてる!強制されてない!」
と言っても、
「その『好き』ってそう思わされてるだけだよ。だってそういう社会で生まれ育ってきたんだもん。」
「美しく(あるいは可愛く)ありたい気持ちそのものが、社会からの刷り込みだよ」
という、選択肢そのものを否定することで女性の主体性を認めない最強の論法である。
この論法は装飾の否定にとどまらず他のことへも転用されており、例えば夫の姓を選んだ(ひいては現状の婚姻制度下で入籍した)女性も、現状の社会制度(家父長制)の維持に与する敵、ないしは未だ「目覚めていない人」という扱いになる。
ちょっと逸れるが、今話題のトランスジェンダー論争においても、そもそも「ジェンダーを無きものにしたい(≒女性らしさがなくても女性は女性である)」と考えているため、「女性らしくあることによって自分を女性と規定する」トランス女性ととことん相性が悪い。
いや、言いたいことはわかるんだけどさ、女性らしさが無くなった世界って何?
ポストアポカリプスかなんか?どんだけ迂遠な話なんだよ。
そんなの一回歴史が完全に途絶しないと無理じゃん。
だって、今までの社会は歴史上ずっと男性が自分たちに有利になるように作ってきたんでしょ?
そこから女性を抑圧する文化が生まれてきたんでしょ?
じゃあ歴史そのものが消えない限り、女性らしさが存在したという事実とその内実は残り続けるんだから、人類が女性らしさとは何かを完全に忘れさるなんて無理じゃない?
女性らしさが無くなった世界で初めて自らスカートをはくことを主体的に選べるっていうのもさ、女性らしさを象徴してきた服飾品や化粧の文化等々が、その成立背景や歴史なしに単体で存在することなんて無理じゃん。
文明の失われた世界で古代の文化を発掘しながら生きる生活を想定してんのか?
「男ウケが悪い」と言われがちな、ギャルのクッソ長いデコネイルとかどう説明すんの?
女性が美を競ってるからダメ?
ネイル自体が男性を喜ばせる装飾文化を基盤にしているからダメ?
というかそもそもの疑問として「女らしさを捨てる」っていうけど、「女らしい」って誰が決めるの?男?
結局男のジャッジありきなの?男が喜ぶ限り、無限に何かを放棄し続けなきゃならんのか?
社会情勢とともにその時要請される「女性らしさ」も変容するだろうに、そのたびに男の顔色うかがって、女らしくないかどうか心配しながら生きてくつもりなのか?
男がこれを喜ぶのでやめようという判断基準が発生しうるよね。それは本当に主体的な女の選択なのか?
スカート捨てた、化粧捨てた、ハイヒール捨てた、次は?
おっぱい捨てる?尻捨てる?「女性らしい曲線を捨てるためにみんなガリガリに痩せましょう/ブクブクに太りましょう」まであと何歩?
逆方向の流行が生まれるだけでは?
いくらスカートが女性を抑圧してきた歴史を背景に生まれたものだとして、それを好むよう刷り込まれて育てられてきたとしてだ。
それを好むという「個人の意思そのもの」を否定することに、ものすっごい拒絶感があるんだよね。
好きでこの世界に生まれてきたわけじゃないのにさ、そこで自分がいいなって思ったものを、「いいな」という気持ちごと否定しながら、「目覚めてない人」を見下しバカにしながら、いつ到達するかもわかんない楽園に着くまで我慢しなきゃなんないの?
そもそもさ、そんな遥か遠い理想郷を目指すのはご立派なんだけどさ、ジェンダーの破壊も結構だしいいことだと思うんだけどさ、今この時を生きてる女を救わないよね、そのやり方って。
ラディフェミの大体が反出生主義者のくせに、なぜか将来生まれうる女児の心配しかしてないよね。
現に今困っている多くの女性やその苦しみを解決しようとは思ってないよね。
「あなたは本当は化粧もスカートもハイヒールも好きじゃないんだよ!!」という否定と、「お前のやってることは今の社会構造の維持への加担だ」という脅しで、女性をさらに追い詰めてるだけに見える。
お題目はとても立派に聞こえるが、肝心のゴールがあまりにも遠すぎるし、理想主義的過ぎて現実に即しているように思えない。
てか見ちゃったんだよね。bioに「脱コル」「ラディフェミ」とか書いてるツイッターアカウントが「スカートとかハイヒール履いておいて痴漢されたとか、男喜ばす格好してるほうが悪い」みたいなこと書いてんの。
あ~確かにあなた方の理屈だとスカートやらヒールやらは、男が男のために作った女を抑圧する選択肢ですもんね~!
自分から男に自分を差し出してるくせに文句言ってんじゃねえってなあ?
そのくっせえ口二度と開くんじゃねえぞ。(ミラーリング)
というわけで、彼らの掲げる理想には共感したが、やり方やロジックに賛同できなくなってやめた。
てかバリバリの全体主義に普通についていけねえ。
そんなことよりピル安くなるように頑張らない?
え?クソジャップオスが中出し生セックスできるって喜ぶからダメ?そんなぁ。