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いつまでも反抗者気分

若い頃、体制に反抗する側、挑戦者側、カウンター側だと思っている人であっても、何らかの形で世に認められ、それなりのポジションになれば、下の世代から見れば、「既得権益側」「体制側」「権力側」になる。 年を取って、自分が体制側の立場にいるという自覚がなく、いつまでも反抗する側でいたい、反抗する側であると思いたがる人は端から見ていると空回りをしてしまいがちだ。

体制側でなく、反抗する側だから、という気持ちで活動を続けていると、以前ほど支持を受けなくなっていることに気付く。 これは表現系だとわかりやすく、若い層を相手にした作家が年を取っていくと、それまで対象にしていた層と年齢が離れていって、ズレが起きてくる。

受けなくなる理由の一つとして、〈反抗〉のスタイルが洗練され過ぎて定型化してしまい、飽きられてしまうというのがある。下手に過去に成功体験があるから、その成功体験の方法を繰り返していく。方法の繰り返しによって、洗練はされていくが、初期の荒削り故のダイナミックな面白さはなくなり、新鮮な部分はなくなっていく。

これは同じ層を相手にしていると、起きる事態なので、回避する方法としては、勝負する場所を変えるという手がある。

某小田嶋先生なんかが典型的であるな